天気がいい日に対馬の山から北西を望むと、遠くに陸地が見えるという。
幸いにも今日は快晴だった。
水平線より手前に白んだ陸地が見えた。その地のどこかに首相がいる。
水城は目標を定めた後、一気に山を駆け下りた。
木をすり抜けて、勢いを殺さずに海に入る。
いや、水面を滑って行く。
さながらアメンボが水の上を滑って行くように、水城は絶妙なバランスで海に立っていた。波の高低など何ら意味をなさないかのように見える。
「発見されにくいけど、見られたら一発で終わりだっていうのが難点なんだよな」
水城は走りながらそう呟いた。少なくとも視界の範囲に船舶の影はなかったのが、せめてもの幸いだった。実際は、近隣の港は消防署の点検という名目で閉鎖されていたのだが。
「まあ、危なくなったら海に潜ればいいんだけど」
水の上を進む術を水蜘蛛、水に潜る術を水遁とそれぞれ呼称する。水城忍法ではそれらを合わせて水行と名をつけていた。
水城は足もとの水を軽くタップする。
すると、極の同じ磁石が離れるかのように、水城の体は勢いよく跳ねた。
そして一番高い位置から遠くを確認する。
影はなし。
そのまま自然落下で降りてきた水城は、水面に触れると同時に最速で移動を開始する。
一時間ほど経った頃、水城は目的の地に着いていた。
水城は息切れどころか、疲労の色も全くなかった。
地図を広げて、首相のいるであろう建物を捜索している。
上陸は入念に人気のない場所を心がけたので、水城のことを知る人物はいない。
この時点で不法入国のため、迂闊に誰かに場所を尋ねることもできない。
「こんなことならしっかり勉強しておくんだったな」
水城はつぶやいた後、日本語を聞かれてはまずいのではないのかと考え、周りを見渡した。
初老の女性と目が合う。
水城は少し考えた後、「ニーハオ、アニョハセヨ」と話しかけた。そして、地図の一角を指差す。
女性は不審な目で見たが、一方向を向いて指し示す。
水城は一礼した後、走り出した。
途中、水道管と用水路を確認していく。
水城は建物への侵入経路として、水に混じって入り込むのが専らであった。そして、今回も同じ手法を駆使しようというのだ。
通りの一角に消火栓を見つけた。
人の目がないことを確認して、消火栓からじわじわと水を放出させる。
そこに手をあてて、水と融和するように念じる。自分が解けていくような感覚を受け、紀がつくと水城はジェル状に変化し、消火栓の中へ侵入していた。
水の流れを押し戻し、目的地へとひた進む。
もうじき終わるな、と水城は思ったが、最後が最も大変なこともまた経験則で知っていた。
其ノ三へ