水泡忍法帖 終章

 水城は総理を安全な場所へ連れ出した後、きびすを返して今までいた建物に入って行った。
 最後の仕事のために。
 背中のほうから「大丈夫なのか」と心配そうな声がかけられるが、無論大丈夫なわけがない。水城は傷の具合と出血量を確かめて、あと20分はいけると考えた。20分というのは、手当てを受けるまでの時間のことであり、任務にかけられる時間はもっと短い。もっとも、見知らぬ土地で満足な治療を受けられるかも怪しいのだが。
 水城は自分を奮い立たせようと微笑んでみたが、傍から見たらアイロニカルで滑稽に見えたに違いない。実際、自分で触ってみると、引きつっているように感じた。
 水城が笑っていようといまいと相手はやってくるもので、ドタバタとうるさい足音を察知して、水城は慎重に道を選んで進んだ。どんなに怪我をしていようと水城は静かに歩く様は、まさに「忍び」の文字に相応しかった。そして、誰にも気づかれることなく目的地に到着した。
 水城がドアに耳をあてて中の様子を探ると、誰かが激しく怒鳴っているのが聞こえた。
 おそらく総理が逃げたことが報告されてきたのだろう、中の人物は電話の受話器を叩きつけるような音を発して、また慌ただしげにどこかへ電話をかけたようだった。
 このことは水城に好都合であった。
 部屋の中には誰か地位の高い人物がいて、部下に指示を出すのに忙しい。つまり部屋にはあまり人がいないということだ。
 水城は勢いよくドアを開けると部屋の中へ転がり込んだ。
 見渡すと、ぎょっとした表情で電話を片手に持つ男がいた。
「悪いけど、電話してる場合じゃないと思うよ」水城は電話を指さして言った。「それとも僕の体に見とれているのか?」
 真っ赤に染まった水城の身体。
 床には血だまりができていた。
 男は銃を構えて大声をあげたが、水城にはその声がかすかにしか届かない。
「そうそう。うちの総理は返してもらいましたよ。今頃は安全地帯にいるはずです」
 水城はにやっと不敵に笑う。
「次はあなたを消す仕事です」
 その瞬間、銃が火を吹いた。
 弾丸はまっすぐに水城の腹部を貫く。
 鮮血が迸り、一帯を真っ赤に染めている。

「!!」
 男は銃を構えながら何かを感じた。
 それは時間が経つごとにはっきりわかっていく。
 銃の傷にしては、血の量が多いのだ。
「人間ポンプ・・・じゃねえぜ!」
 水城は高笑いする。
「水城忍法奥義・蛟」
 まるで生き物のように水城の血がうねる。くねくねと動く様はまるで蛇だ。
「―――!?」
 男が蛟に向けて発砲したが、いとも簡単に飲み込んでいく。
 じわじわと忍び寄るというまどろっこしいことはなく、いかにも動物らしい素早さで。
 男は喰われた。
 叫び声は一瞬で聞こえなくなった。
「ふう・・・」
 水城は男の最期を見届けると、その場に崩れた。
 出血多量で全身が痙攣し、次第に意識が遠くなっていく。
 水城は自分が死ぬのを感じた。そもそも命と引き換えだと教わっていた奥義を使った時に死を自覚していた。
 幼少の記憶。
 親から忍法を叩き込まれた記憶。
 従妹と修行に明け暮れた日々。

 走馬灯が廻ったが、そこで途切れた。