サリンジャートリビュート エミに捧ぐ~愛と汚辱のうちに~ 1

 この度私が死を決意したのは、人生に絶望しただとか傷心のためだとかいうありきたりな理由ではなく、言ってみれば芥川龍之介に似ているのかもしれない。芥川は「漠然とした不安」のために死を選んだが、対して私は「漠然とした虚無感」とでも称するのが良いだろうか、そういったものに苛まれている。虚無感と不安はまったくの別物ではあるが、どうせ今から死ぬ身、どっちであろうとそれは頭を悩ませるだけ徒労であるというものだ。
 しかしながら私には遣り残したことが多く、別に生きることへの執着と言うほどでもないのだが、平生浪費やら慈善に関わりのなかった私は死ぬ前に一度そういうことをしてみようと思い立った。死後、私のささやかな行動が社会をより円満にするのならば、まだ「漠然とした虚無感」を感じない人々の手助けになるのも吝かではない。むしろ、是非とも私の浪費が経済を活性化させ、私の慈善が皆に活気を取り戻させるようにと願いたい。…少々言い過ぎかもしれない。
 ともかく私はスフィンクスで首を吊ったりナイアガラの滝で紐なしバンジ―をしたりする前に、ありったけの金を使い今まで培ってきた自分の像をぶち壊そうと思う。ただの悪あがき、どうしようもなくなった自分への唯一最後の悪あがきなのかもしれない。

 ところが残念ながらと言うべきかやはりと言うべきか、いざ何かをしようとしてもてんで何も思いつかない。
 いや知識としてならば知っている。しかし、私の持つ知識がそのまま願望へ結びつくかと言うと、それは大きな間違いである。
 ただ消費するのみではない。私がささやかながら持ち合わせている自我の欲求を満足させることが重要なのだ。これは最低条件、むしろ前提条件になるのか。そうでなくては話にならない。
 さあ、犬も歩けば棒に当たるという諺の通りにとりあえず行動することが一つの手としてある(良い意味と悪い意味の二通りがあるが、どちらも間違っているわけではないだろう)。もう一つの手段として何も行動しないということが挙げられるが、はてさて。


 結局私は出歩くことにした。
 空は薄曇りだったが、久方ぶりに外に出た私としてはそれでも充分に明るいといった印象を受けた。実際蛍光灯の明るさと比べると確実に外のほうが明るいだろう。
 さて、先ほどから何も考えず歩いているつもりであったが、よく思考してみるとどうやら私は故郷の方向に進んでいるらしかった。これも望郷の念が生せる術なのか、それとも最大の決別の意思なのか、はたまた只の偶然か。
 どちらにしろ向かうべき方向が一緒なら何も悩む必要がない、別れ道でコイントスをして決めることもなくなるのだ。
 ぽつり。
 五分経っていざ行き先が決まったら、急に雨が降り始めた。
 まだそれほど気にはならないが、雲の様子を見るにどうやらこれから酷くなるようだ。勿論今の私は雨具を持ち合わせていない。一刻も早く雨具を手に入れるかどこか雨宿りのできる場所を探さないと、濡れねずみの肺炎野郎になって死んでしまうだろう。自殺志願者が病死など、皮肉を通り越して笑いものになってしまう。
 ところが不幸中の幸いか、近くに市民会館があるのを見つけた。私は迷うことなくそこへ歩を進める。
 市民会館の入り口に手書きのポスターが貼ってあった。蛍光色で猫や花が描かれた、愛くるしく微笑ましいポスターであった。文面を読むにどうやら現在、少年少女合唱団の発表会のようなものをやっているらしい。
 時計を見ると終了まであと十五分程度しかなかった。それでもせっかくだからと見に行く決心をするのにきっちり三秒かかった。そして、扉を開けて市民会館へ入って行った。

 人影はそれほど多くなかった。来ている者は合唱団のメンバーの保護者に、私のような大した目的を持っていない者くらいであろう。
 私は一番前の席に座り、舞台を眺めた。
 舞台にはおよそ十五人の子ども達がいて、小さな子では六歳くらい大きい子では十五歳くらいだと思う。全員が統一された衣装を着ており、それは中性的な服であったため別段おかしな風には見えなかった。
 彼らの歌は、俗に言うアカペラと呼ばれる部類に属するものであった。ピアノやオルガンがなくてもしっかりと音程をとることができており、むしろそういったものがないほうが彼らの美麗な歌声を邪魔せずに済んでいた。
 およそ十五人の中で私がとりわけ目をひいたのは、舞台上手で私に最も近い位置に立つ十五歳くらいの少女であった。
 少女は他の誰よりも澄んだ歌声を持っており、彼女のソロパートの部分などはそのまま私が心酔してしまうほどであった。これはただ私に最も近く位置しているからだけではなく、高い音域で彼女の歌声がもっとも綺麗だったうえに、一番よく響き、一番しっかりとしていたためであった。
 私はまぶたを閉じて聴こうとしたが、それが惜しいくらいに彼女は華やかで清々しかった。ショートボブの髪は念入りに整えられており、若干細めの身体に繊細な顔が清閑さを出していた。そして私が最も引き付けられたのは彼女の瞳であり、瑞々しさを帯びて輝いていた。
 私は終始彼女の歌声を追っていた。それが段々と分かり難くなるにつれ、合唱はクライマックスを迎えているのだと分かった。私は今すぐにでもスタンディングオべーションをしたくなった。
 歌声が最も響き渡り、どうやら合唱はそれで終わりのようだった。場内は割れんばかりの拍手が起こった、普通はそうなるのだろうが遺憾ながら少数の人間しかそこにはいなかったためにパチパチと聞こえた程度であった。私は自分ひとりで3人分の拍手を合唱団に捧げた。それが収まると、司会者なのか責任者なのか保護者なのか、とにかく中年の大柄な女性が現れて壇上のマイクの前に立った。私は、子ども達の歌のお陰でせっかく陶然となった気持ちを、その人のきたない声で掻き乱されないうちにと思い、席を立って会場を出た。


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