私は珍しくマックユーザーだ。デザインを気に入ってるという理由もあるけど、作業に便利なのが大きな魅力。知り合いの絵描きさんもマックがいいって言ってる。Windowsのソフトだってエミュレータで対応できるから問題ないし。
作業。私は趣味で音楽をやっている。ピアノみたいにお嬢様な種類でもバンドのような明るいものでもない。私はパソコンを使って独り細々とエレクトロニカを作っている。上手くできたものはホームページにアップするが、たいていはゴミ箱行きだ。わざわざ残さなくても、曲の雰囲気と音の高さは頭に残っている。ううん、頭にあるものを曲にしているだけなのかもしれない。
そして現在、午後一時、昨日の夜から作り始めた新曲(ほとんどゴミ箱行き)の続きを製作している。本当ならこの時間は授業なのだが、夜に作曲に没頭してしまい宿題をやり忘れていた。出席日数にはたいして問題がなかったので、昼にパンを買ってラウンジに来てからずっとそのまま。高校と違い、サボタージュは自分との駆け引きだ。
ラウンジには三十くらい椅子があるが、今は私を除いて三人しかいなかった。向かい合わせで談笑している二人と、暇そうに雑誌を読んでいる一人。あの人たちも私みたいにサボり組なんだろうか。頭の隅でそんなことを考えてみる。
ひととおりプログラムを打ち込んだので、作業の手を止めてイヤホンを耳につける。そして、マウスを操って曲を再生する。一瞬の間の後、イヤホンから澄んだ音色が流れた。期待通りの出だしに満足して、紙コップのコーヒーを口にする。買ってから時間が経っていたので、コーヒーは生ぬるくなっていた。
ふいに、パソコンの画面に陰りが差した。
見上げると私のそばに兄が立っていた。兄は憮然とした表情をしていた。そして開口一番、何をしているんだと言い放った。
「見てのとおり」私はパソコンの画面を兄に見せた。「私は今、音楽活動の真っ最中よ。だから、邪魔しないで」
私の言葉を聞くと、兄は眉をひそめた。
「授業さぼってるだろ。確か、この時間は専門の何かがあった」
「そう。それも、難しい宿題をやってこないと意味の無い授業」
「昨日の夜は遅くまで遊んでたみたいだったけど?」
そんな兄の言葉にうんざりして、耳からイヤホンを抜いた。
「とにかく、授業の一回や二回欠席しただけで単位は落ちないんだから。私が何をしようと、私の勝手でしょ」
「………まあ、いいけど」
兄はそう呟き、行ってしまうかと思ったがそのまま私の前の席に座った。
私はもう一度パソコンと向かい合う気も失せていて、残った時間をコーヒーと共にぼーっと過ごすしかなかった。残りあと一時間ほど。
「……別に、楽しくてやってる訳じゃないのよ」
私は何の気なしに言った。兄は、うんと軽く頷き、続きを求める。
「嫌いってわけでもないけどね。私は曲を作れるから作っているだけ」
「勉強よりは好き、か」
「当たり前でしょう。そうじゃなかったらこんなところに居ないもの。それに、私が勉強しなかったとしても、別の誰か代わりが居るわ」
兄はかすかに鼻をならし、おもむろにパソコンに繋がっているイヤホンを手に取った。
「再生してくれ」
兄の言葉に従って、さっきまで作っていた曲を再生した。 静かに音が流れ始めた、はず。
兄は無表情だった。良いも悪いも、見ためからじゃ判別できない。
2分ほど経ってから、ようやく兄はイヤホンを外して、そのまま椅子から立ち上がった。
「どうなのよ?」
そう問いかけると、「悪くない」と返ってきた。
「あんたに音楽がわかるの?」
もちろん、挑発のつもりで言ったんじゃないのだけれども。
兄は眉をひそめ、一瞬何かを考えてから言った。
「素人に分からない音楽なんて作らないほうがいい」
そう残して、兄は去った。
私は兄の背中を見つめて、にやにやと笑いが押し寄せてくるのを抑えるのに困った。
パソコンの画面に視線を移す。
今の曲を保存して、残りを仕上げてしまおう。
そして、次は胸がすーっとするような曲を作ろう。
「あと少し」
完成は近いと自分に言い聞かせ、またさっきのようにデータを打ち込む。
こうして出来上がった曲を聴くと、いつもこの時のことを思い出して、頬が緩むのだった。